にんげんって?

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どうして人間(にんげん)は年(とし)をとっていくの?


どうして人間(にんげん)は年(とし)をとっていくの?
という質問(しつもん)をしたお友(とも)だちは、なぜ、そうおもったんだろうね。きっと年(とし)をとっていくことが、いやなことにおもえたからなんじゃないかな。

おばあさん

「年(とし)をとるとあたまがボケちゃうかも」「あるけなくなって、すきなことができなくなるのかも」とか、「死(し)がちかづくからこわいよ」・・・という理由(りゆう)かもしれないね。ちっともよいことに思えないのに、どうして人間(にんげん)は年(とし)をとってしまうんだろう?



最初(さいしょ)の人間(にんげん)は神(かみ)さまによってつくられたんだ。サルから進化(しんか)したんじゃないよ。(くわしく知(し)りたいお友だちはほんとうにサルから進化(しんか)したの?をよんでね。)

その人間(にんげん)は最初(さいしょ)からおとなで、おくさんも最初(さいしょ)からおとなだったよ。なまえはアダムとエバ。きいたことあるかな?

このアダムとエバは、神(かみ)さまに逆(さか)らって罪(つみ)をおかしてしまった。罪(つみ)をおかした人間(にんげん)は、あかちゃんを産(う)み(聖書(せいしょ) 創世記(そうせいき) 3章(しょう)16節(せつ))、あかちゃんはおとなになり(創世記(そうせいき) 2、3章(しょう))、ついには土(つち)に帰(かえ)る(死(し)ぬ)ことがきめられた(創世記(そうせいき) 3章(しょう)19節(せつ))。つまり、人間(にんげん)は罪(つみ)をおかしてから年(とし)をとるようになってしまったんだ。

このアダムとエバは、ぼくたちのおじいさんとおばあさんのそのまたおじいさんとおばあさんの・・・ずーっとさきのおじいさんとおばあさんだよ。



だから、アダムからはじまったぼくたち人間(にんげん)はぜんいん、人間(にんげん)であるいじょう、ぜったいに年(とし)をとって死(し)ぬことからのがれられない。。。でも、がっかりしないで!

ぜんぜん年(とし)をとらないお方(かた)がいらっしゃるよ。人間(にんげん)ではないよ。神(かみ)さまなんだ。

しんせんなリンゴとくさったリンゴ

聖書(せいしょ)には神(かみ)さまが「朽(く)ちない(年をとらない)、死なない」お方だと書(か)かれているよ。

年(とし)をとることもなく、死(し)ぬこともない神(かみ)さまが、ぼくたちを愛(あい)してくださって、救(すく)ってくださるんだよ。 その救(すく)ってくださるお方(かた)はイエス・キリストさまだよ!



聖書(せいしょ)にはぼくたち人間(にんげん)への約束(やくそく)が書(か)いてあるんだ。

「この死ぬべきもの(人間)が死なないものを着(き)るとき、このように記(しる)されたみことばが実現(じつげん)(ほんとうにそうなる)します。『死は勝利(しょうり)にのまれた。』」(聖書(せいしょ) コリント人への手紙(てがみ) 第一(だいいち) 15章(しょう)54節(せつ))

イエスさまを信(しん)じれば、死(し)に勝(か)てるという約束(やくそく)を、キミも信(しん)じてみないかい?!

死(し)に勝(か)つとは、

「まことに、まことに、あなたがたに言(い)います。(イエス・キリストさまを)信(しん)じる者(もの)は永遠(えいえん)のいのちを持(も)っています。」(聖書(せいしょ) ヨハネの福音書(ふくいんしょ) 6章(しょう)47節(せつ))

いまの体(からだ)は死(し)ぬけれど、年(とし)をとることもなく死(し)ぬこともない、永遠(えいえん)のいのちをもらえるっていうことなんだ!

イエスさまがくださる永遠(えいえん)のいのち。それをもっとしりたいおともだちは、いちばんたいせつなことへGO!

せいしょ





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